前の記事で、浄土真宗の教えでは、信徒に対して儀式らしいこと(お盆らしい事)を要請する面を全く持たない事が分かりました。
では、他の宗派ではどうなのか。
禅宗のひとつである臨済宗ではお盆をどのように捉えているのか調べてみました。
詳細はリンク先に譲りますが、そこでは「深い思いやりの心、慈悲の心」が重要であり、浄土真宗とは違う考え方が教えられています。
先祖の御魂が家へ帰っておいでになるものとして、お佛壇をも立派にかざり、種々なものを供えて御魂を祭ります。
私共が平生、人とのつきあいに、やさしい心をはこぶことは、うれしいことでありますが、
お盆はそのやさしい心を亡くなられた人々に向けて、先祖や縁ある人々の御魂を迎えて、おもてなしするのであります。
(中略)
心を込めてお盆をお迎えすることは、慈悲の心、やさしい思いやりの心の発露であります。
臨済宗円覚寺HP「お盆を迎えるにあたって」より
なんと臨済宗ではハッキリと
- お盆は重要なイベントである
- 先祖の霊が帰ってくる
- 飾り付けなどをする
と、お盆らしいことが教えに含まれているようです。
浄土真宗の教えと相反し、ますます仏教とお盆の解釈を理解するのが難しくなってきたな、と思ったところで、ある事に思い至りました。
それは、イスラム教やキリスト教。
聖典があり、厳密に定義を決めて、今日まで深められてきた教えです。
彼の信仰ですらも、思想や解釈の違いがあり、格宗派が存在し、同じ現象や文言でも解釈や実践が異なるのです。
これと同じ現象が起こっているだけで、各宗派にとっての仏の理解をお盆に当てはめて考えているだけ。
あの宗派はああ言っているから正しく、こっちはこう言っているから間違い、とかいうレベルの話ではなく、これは絶対的な正解がない話なのだと思い至りました。
そうなると問題は、「私にとってのお盆」とは一体何なのか。何をするのか。それは何故か…。
矛盾を孕んでいてもよいので、これらの問いに対して自分なりの説明ができるようにしたいと思います。
この夏、いつか解き明かしたい大きな謎を見つけてしまいました。
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