利休忌の記録

茶道

写真は会場の表にあった満開の桜。会が終わるまで、気づきもしませんでした。

怖いもの知らずの茶席デビュー

利休忌の記録…これ即ち私にとっては、茶席デビューの記録。

時を遡ること数ヶ月。

茶道のお稽古の時に先生から「3月の茶席で一席やってみないか」とオファーがありました。

大勢の前でお茶を点てるなんてとんでもない!…と思いましたが、少し考えます。

茶を習う者として、いつか通る道ならば。先生が進めてくれる”今”がその時ではないか。

…と、二つ返事で引き受けました。

以下、備忘録的に記載。

和服デビュー

まずは和服。

何と言っても和服を着なければ始まりません。

実家に連絡して、祖父の遺してくれた着物を発掘しました。

三味線が趣味だった祖母の、呉服屋さんとの付き合いで買ったであろうその着物はしつけ糸もそのままで、都合の良いことに新品の袴も一緒に保管してありました。

しかし、ものはあっても着られなければ意味がありません。

幸運なことに茶道教室の同門に着付けの先生がいらっしゃって、とてもありがたい事に、着付けを教えて頂くことができました。

その後、家で何度も着付けの練習。

特に、帯に苦しめられました。

これはまるでネクタイを締めるようなもので、結び方のイメージと体の動きが一致するまでの訓練を要しました。

着付けの成功とお点前の失敗

袴はズボン上になっているため、トイレに行くためにはせっかく履いた袴を脱がなければなりません…。

トイレに行かなくていいように、朝ごはんは食べず、水分も取らず。逆に出すものは出し切ってから茶席に臨む。

まるで禊です。笑


ある禅僧

「午前中に僅かな雑炊やお粥をすするだけで一日暮らしていける。一日一日を真剣に集中していれば、腹が減ることもなければ風邪を引くこともない。」

と言っていたのを実践してみた事になりますが、全くその通りでした。笑

トレーニングと禊が功を奏し、当日は全くトイレに行く気にならず、1日通して崩れる事なく過ごす事ができました。

着付けの先生からも、席入りしたのちの会話の中でも、和服の着付けについてお褒めの言葉を頂きましたので、和服デビューについては成功したと言って良いかと思います。

やったぜ。

そしてここから想定外のオンパレード。

ガッタガタのデビューとなりました。笑

想定外その一.水屋道具がない

茶席に備えて水屋に入ります。

そこにはいつも使っている水屋道具がありません。

特に、茶入に抹茶を掃き入れるための小さな漏斗がないのには焦りました。

どうすべきか色々試す時間もないので、已む無く茶杓で直接、茶入にお茶を入れることに。

こんなやり方はやったことがないので、どれくらいが適量かサッパリ分かりません。

試しに茶杓で4回入れてみて茶碗に出してみたところ、やや少なかったので、5回分入れることで対応しました。

本当にこれで大丈夫か…?

想定外その二.帛紗が新品に

会が始まる前に先生から帛紗は汚れてないか、お尋ねがありました。

いつもの稽古で使っているものを腰につけていたのですが、先生が新しい帛紗を準備して下さっていたので、新品に付け替えて席に入る事に。

後に確認したところ、新品でなくても構わないが、あまり汚れていないものが望ましいとのことでした。

新しい帛紗は使い込んだ帛紗と比べて生地が硬く、使い心地が大きく異なります。

この為に帛紗を捌く際は手元が常に怪しく、後に茶杓を清める際には拭いても拭いても抹茶が残る。

困りましたが、やるしかない。できないは通用しない。

お抹茶がこびりついた茶杓は見苦しく、拝見に出せません。

何が大事かをよく考える時間もありません。

直感に従い、即断即決するしかないのです。

想定外その三. よく滑る建水と柄杓

建水の上に伏せた柄杓がとにかく滑り、席入り直後に落っこちます。

柄杓を改めようと水屋に下がろうとすると正客に「そのままで良い」と止められ、言われるままに、柄杓を仕込み直して、定座へ向かいます。

その際も滑る、滑る。

もはや手で水平が取れているのかどうかわかりません。

結局またもや滑り落ちて、手首と建水に柄杓が引っかかった状態に。

全く、想定外です。

頭が真っ白になっていたので、最初の最初から手を間違う。

本来、茶碗を扱うところだが、なぜか柄杓を構えていました。

もはや素人丸出しです。

序盤からここまで調子が狂っていると、見ている客の方からしたらもはや不安や心配を通り越して、オリンピックの水泳で溺れかけながらも泳ぎ抜いたアフリカの水泳選手を見るような気持ちだったのではないかと思います。

なんとしても、やり切らねばならぬ。

利休さんもかつて、緊張のあまりにガタガタになったお点前を「正直な心がよく現れた天下一の点前だ」と評していたそうではないか。

正直さこそ、かけがえのないものだ。

私の全存在をかけて、茶を出す。

上手いとか下手だとかはもう知ったことではない。

それだけだ。

素手で熱い蓋を持つ

さて、お茶を点てるためには、茶釜の蓋を開けなければなりません。

この日のために特訓を重ねた私は、どんなに熱くなった釜の蓋のつまみでも持つことができるようになっていました。

帛紗を腰につけた姿を見た正客からは「蓋は素手?帛紗?」という問いがあり、先生がそれに素手で、と答える。

連客たちから「アイツ、本気か?」という空気が感じられました。

私は見せ場到来とばかりに涼しい顔をして、灼熱に焼けた摘みを持ち上げて見せます。

釜の蓋を開けて見えた光景は恐るべきものでした。

これ以上ない程に、ボコボコと煮えたぎっています。

炉の濃茶席なので、この後に蓋を完全に閉めて、お湯の温度をさらに高める流れとなります。

そして一度、釜の蓋を素手で取った以上、次も素手で取らねば格好がつきません。

もはや退路はありません。

いや、仮にあったとしても、私はこの道を行ったでしょう。

茶入から茶を出し切った後、再び灼熱、炎熱の釜の蓋を摘む。

客席にどよめきが起こる。

蓋は火傷せんばかりに熱かったが、ポーカーフェイスで蓋を蓋置へ。

技術がない私が提供できるのは心だけだ。

我が心意気を菓子にして、どうぞお茶を召し上がれ。

濃茶を練るのも全身全霊。

焦らず、慌てず、濃茶が光を放つまで練る。

そして、コレだ!と言い切れる濃茶が誕生。

後は野となれ山となれ。

なんとか席を終えて、水屋に戻ります。

みっともない限りの席で、本当に恥ずかしかったが、私なりに見せ場を作ることは出来た…。

とは言っても、単純に熱さに耐える姿を見せるという点で男塾名物「油風呂」と全く同じ種類の見せ場ですが。笑

最後に.何事も挑戦

自分が子供の時には、中年くらいになると人生は惰性で、同じことの繰り返しだと思っていました。

もちろんそういう人生もあるかもですが、実際には幾らでもチャレンジができるし、いつだって新たな一歩を踏み出す事ができる。

一時の恥を恐れなければ、幾らでも前に進めるものです。

人生100年。

これからも恥を撒き散らしながら、生きていこうと思います。

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