2024年、初心と新年の目標

茶道

茶道に関する雑誌「なごみ」。

今月号は「茶の湯で出会う、日本文化」というテーマです。

これは、私がお茶に手を出した根本のところでもあります。

これを機に、少し初心に立ち返ってみました。

お茶との出会い

お茶に出会う前まで、私は園芸、絵画、うるし塗り、はたまた料理や民芸などそれぞれ個別に出会い、面白がって、手を出していました。

さんざんなものに次々と手を出していく中で、どこかそれらを消費する感覚がありました。

出会っては弄び、飽きては通り過ぎ、振り返ると何もない。

どこか漠然とした物寂しさを抱いており、何か嫌だな、このままでは気持ち悪いなと思っていたのです。

ブログを始めたのも、消費し尽くすだけでなく何か記録に残しておこうと思ったためです。

今振り返って思うとこの感覚は、いわゆる道を求めるような気持ちの端緒だったと思います。

道を求める

特に植物が好きだったので最初は何となく「いけばな」あたりに道を求めようかと思っていました。

そこで出会ったのが過去の記事の通りある華道の家元の本です。

その当時調べると、いわゆる「たてはな」のように豪華絢爛・論理的な精緻を要するいけばなよりも、「そこら辺の野に生えている花のような楚々とした風情」に憧れがあった私は、自然「茶花」という存在に出会いました。

そこから茶道というものが如何なるものかと、岡本浩一先生の本「一億人の茶道教養講座 (淡交新書)」に手を出したのが道の入り口。

その道に入らんと思う我が心の師匠の導きのままに、ここまでやってきました。

茶道という背骨

裏千家のお家元は「茶道は文化のポータルサイト」と仰っています。ポータルとは玄関のこと。

今月号のなごみは、お茶という玄関から花、香、料理、歌と4つの文化とのつながりを示してくれていますが、他に例をあげれば、陶器から工芸品、建築から作庭、歴史から人物史、さらに今とっぷりとハマっている禅という深みにも連れて行ってくれます。

そして、それぞれを味わった時に戻ってくる場所、それがやはり茶道だとも思うのです。

こんな道は、そうあるものではないと思います。

山田無文老師は、現代社会を「背骨のない時代」と評していました。

お茶と禅を一体として解することによって、お茶は私にとって重要な背骨となったと確信しています。

お茶を点てる!

お茶は何と言っても、茶事のためのとの。

今年はひとつ、我が家に客をご招待し、お茶を出す経験をしてみたいと思います。

いつ、どなたを、どんなふうにお招きしようか…

そう決めた途端に今年一年が楽しみになってきたと同時に、「できるのか…?」と緊張感が出てきました。

できるかできないかは結果、自然にやってくる。

人生100年。

この道、次の一歩を踏み出してみようと思います。

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