茶道を習う目的の一つとして「茶事を主催する」ことがあります。
茶事とは、懐石料理から始まって、お菓子と濃茶、さらに薄茶と供されるフルコースのこと。
今まで参加してきた利休忌などのお茶会とは全く趣を異にするイベントなのです。
2025年5月6日、師匠が久しぶりに茶事を再開したいとの事で光栄にも客としてお招きいただきました。
その学びの部分を記録しておきたいと思います。
始まる前から反省
茶事に招かれるということは即ちフルコースのおもてなしを受けるという事であり、その御礼はきちんと準備しなければなりません。
当然の事です。
とはいえ、主催者に「では、幾ら準備したらいいか」なんて聞きにくいこともありません。笑
どうしたものかと案じていて、結局何も行動に移す事ができず、まごまごとしていたら、茶事の前日に一緒に招かれたお客さんから「お礼はいくらか聞きましたか?」という連絡がありました。
正直に知らないことを打ち明けると、x円だと教えてくださいました。
ここで気づいたのです。
気まずいからといって放置していても問題は解決されません。何かをしなければならない際に、気まずいとか、逆に気が進むとか、そういう自分の感情に委ねてよい時とそうでない時があるのです。
そして、相手があることで差し迫ったときには、決して放置してはいけないのです。
誰かが解決してくれる(今回はしてくれた)からといって、そこに甘んじてはいけない。
むしろ、助ける側に回らなければならない。
道は遥かなり。
大いに反省です。
茶道してない人にはオススメできない
茶事の全てを終えて感じたのは「これは茶道をある程度心得た人たちのイベントだ」ということです。
客として参加する側に茶道の心得があることが前提となっている上に、たっぷりと時間もかかります。
今回は11時開始の14時解散でしたので、3時間まるごとかかっていますが、これでも早い方とのこと。
知らない人は絶対に楽しめないどころか、ただ何時間も拘束される苦行のような時間になることでしょう。
茶事を目標に茶道をすることは超オススメ
茶道は総合芸術と言われる事がありますが、それはこの茶事のことを指しているのだと思います。茶事に含まれる芸術的要素といったら分解してみるとすごいボリュームです。
【衣】
和服。
…とその着付け。
更に、和装での立ち居振る舞いなど。
【食】
懐石料理。
季節の食材と、調理技術。
盛り付ける器と、盛り付け方。
食事の合間に供する日本酒。
和菓子と、お抹茶。
数々の茶道具と、その組み合わせ。
【住】
茶室建築と作庭。
茶室に飾る季節の花と、花入。
掛け軸。
…ざっと思いつく限りでもこれだけ鑑賞の対象となり、その一つ一つに一生を賭けても極め尽くせぬ世界が広がっています。
飽きが来るどころか、全体のうち一生のうちに触れる事ができるのはほんのわずかでしょう。
こここそ正に、極め尽くせぬ、汲み尽くせぬ知の源泉です。
茶事を目標にして茶道をやれば、一生退屈することはないでしょう。
答えがない世界を生きる力
型を学び、型を身につけるのが茶道のお稽古です。
稽古の時間のうち9割9分はこの型を習うことに費やすのですが、実際にはこれと決まった型は確かなものではありません。
こうだと思っている事が、実は違っていることだらけです。
更に、現実には型通りに行く事もまずありません。どんなに練習していても、どんなに準備していても、必ず何かが起こるもの。
完全無欠のパーフェクトなお点前は、あり得ないのです。
相手と自分の関係性をしっかりと考えて、お互いが共に喜び合える企画を立案し、実行すること。
接遇の基本となる型を繰り返し練習して身につけつつ、常に不測の事態を想定して、柔軟かつ大胆にその現場で最適な応用力を働かせること。
これが茶事を目標とした茶道で磨くべき力だと思います。
そしてそのスタンスは、答えのない現代社会を生き抜くのに近い能力だと思うのです。
さいごに
初めて茶事に招かれて感じたことは、茶道とは趣味としての「総合芸術」である以上に、人間としての総合力が問われるものだったということです。
完全に茶道の魅力にやられてしまいました。
私ももっと精進して、茶事を主催できるようになりたい!
目標があるって、とてもいいものです。



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