嵯峨菊と、学び多き茶会

植物

去年、近所の菊祭りで手に入れた嵯峨菊や肥後菊。

肥後朝顔などと同じように古くから日本で楽しまれている古典園芸植物です。

嵯峨菊、茶席へのオファー

私は山野草のようなひっそりとした、楚々とした植物が好きなのですが、古典園芸植物にはそれとは全く違った趣があり、これはこれで楽しいものです。

嵯峨野朝霧
江戸絵巻

菊の盛りのそんなある日、お茶の先生から12月に催される茶席の花選びで困っているという話を聞きました。

師走のこの時期といえばツバキの仲間が茶席の鉄板なのですが、それは別の部屋でいける事が決まっているので、ツバキ以外を検討しているとのこと。

この時期は花が少ないので、選択の余地が殆どありません。

うちの菊でよければ…と差し出がましくもご提案したところ、とても喜んで受け入れてくださいました。

嵯峨野猩猩寺

茶会に行く

いつも通りに長男と出かけようとしたら、、出かける直前に突然長男から、懐紙と菓子切りは忘れてないか、と聞かれて驚きました。

茶席に必要なものを教えたことはないのですが、夏に入った茶席で懐紙と菓子切りを忘れていて、少し気まずい思いをしたのを覚えていたのでしょう。

私も同じく、今回は忘れないようにしないと、と思っていただけに驚きました。

親の趣味に引き摺り回して、行った先々で望むと望まざるとに関わらず様々な体験を積ませる。これも一つの英才教育というものなのかもしれません。笑

客のマナーと指摘の仕方

…そんなこんなで茶席に入りましたが、とても驚いた事が2つあるので記録しておきます。

ひとつは、席に入った客の振る舞い。

とある名も知らぬお客さん。

席に入るなり、あちこちの写真を撮りまくる。茶道具一つ一つにスマホを突き出して撮りまくる。撮りまくる。

まだ席が始まってもいないのに。

これは流石にあんまりだろうと思っていましたが、注意する人も見当たりませんでした。

やはり何にしてもマナーというものがあると思うのですが、マナーは知らないと分かりません。

誰か教えてやればいいのに、と思いつつ、その誰かに私が含まれていない事にも気がつきました。

こういう場合、どうすべきか。

人生の課題が一つ増えました。

亭主のお点前

もう一つは、その時の亭主(茶を立てる人)のお点前の雑さです。

歴の浅い私でもハラハラするぐらいに、ちょっとこれはどうしたものかというような雑な所作。

下手なら下手なりに懸命にやる姿があれば上手い下手とは別の次元での良さが生まれてくるものですが、その懸命さも感じられません。

その日のために準備してきたかどうかは一見するとハッキリと分かるものです。

別の一席では、緊張感と丁寧さが共存した素晴らしいお点前を拝見した後であっただけに、衝撃の一席でした。

人のふり見て我がふりなおせ。

実に学び多き茶会となりました。

歩歩是道場

やはりお茶の世界というのは味わい深いものです。

ド派手な古典園芸植物でも、いけかたによっては立派に茶席を彩ることができるものです。

茶席でのふるまいからは、どういう時にどういうふうに処すべきか、考えさせられます。

そして何より感じたのは、真剣にやることの尊さです。

真面目にやること。真剣にやること。

これは、それだけで人の心を打つものです。

逆もまた真なり。

この日、席に掛けてあった掛け軸には「歩歩是道場」とありました。

一挙手一投足、その瞬間瞬間の全てが修行の道である、という意味に受け取りました。

歩歩是道場。

胸に刻んで、毎日を過ごしたいと思います。

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