会記から学ぶ、2024年観月茶会より

茶道

お稽古を重ねていると、段々と欲が出てきます。それはもっと幅を広げたいもっと深く知りたい、という欲です。

拝見のお約束

例えばお茶のお稽古では「道具の拝見」というワンシーンがあります。

お茶会で使用された棗や茶杓などの茶道具を、お茶を頂いた後に特別に見せてもらうことを頼むことです。

拝見の申し出を受けたら、そのお道具を差し出して、「どこの誰が作った、どういう作品か」を端的に話すシーンがあります。

普段はお稽古なので稽古場にある限られた道具を使い、有名な茶道具作家の名前で問いに答えるのです。

具体的には、薄茶を入れる棗について尋ねられたら「(作者は)宗哲です」と応えます。

宗哲はお茶の世界では超有名な茶道具作家。漆塗が専門の、由緒ある茶道具家です。

宗哲といえば誰でも知っているので、つい「お棗は?」と聞かれたら「宗哲です」と応えてしまうのが半ばお約束のようになりつつあるのです。

そしてだんだんとこのお約束を突き抜けたい!という欲が出てきました。そのためには、茶道具作家についてもっと知る必要があります。

どのようにして茶道具作家の知識の幅を広げるべきか先生に相談したところ「茶会記」を参考にしてはどうかとアドバイスを頂きました。

茶会期

茶会期とはその茶席で使われた茶道具の一覧表です。

その茶席でどんな道具を使ったのかを後に振り返る唯一の手掛かり。

どのような道具の組み合わせがあるか、またそこに込められたメッセージは何かということを読み解くのは茶会の大きな楽しみの一つとされています。

そこに至るまでは遥か遠く及びませんが、「茶会期を真剣に見る」という事が今までなかったので、これを機にしっかりと見ておこうと思いました。

香合 表完

早速見ていきます。

まずお香を入れる「香合」には「表完」と記載がありました。

表完で調べると川瀬表完(かわせ ひょうかん)という京都市の方であることがわかりました。

江戸末期の京塗師木村表斎を祖とする「表派」の技法を受け継ぐ京塗師、と説明があり、由緒のある作家であることが伺えます。

作品については、香合はもちろん棗や塗りの棚など多様な茶道具を作られているようです。

棗 甫斎

続いて棗です。

甫斎で調べると「山下甫斎(ほうさい)」という人物が見つかりました。

石川県出身の塗師で、大ぶりな棗に見事な蒔絵を施す作品がいくつも見つかります。

この日の茶会で用いられていた棗は銘「武蔵野」。秋の七草が描かれた平棗で、それはそれは見事でした…。

画像は参考です。

http://www.yamada-yukodo.com/itemlist425.html

茶碗 柳原 呉器写 銘:筒井筒

茶碗の横に並ぶ文字を見ても、未熟者にはさっぱり意味が分かりません。笑

一つずつ調べてゆきます。

まず柳原とは…

柳原(やなぎはら)焼とは、筑後国久留米藩の御庭焼。

久留米城三の丸で焼かれた。九代藩主有馬頼徳(月船)の創始で、天保3〜7年頃のもの。

茶器を主として、全て写しであった。

製品は贈答用で、端正で高雅なものが多い。

新版茶道大辞典 1187項
柳原焼御本写茶碗 (久留米市教育委員会所蔵)

世にさまざまな窯元があったことは想像に難くないですが、「写し(レプリカのようなものか)」を専門にし、かつ贈答用として焼かれている窯元があるとは驚きました。

その有馬家が、利休七哲と呼ばれる茶人の1人というのも初めて知りました。

有馬家とはお茶と縁が深い大名だったのですね。

呉器(ごき)とは、高麗茶碗の一種。もと判使(はんす)御器。のち呉器の称が用いられ、判使(はんす)御器は呉器の一種といわれるようにもなった。

元来、禅院で用いる塗椀のことをいう。李朝時代に朝鮮で作られた茶碗に、高い撥(ばち)形の高台に見込が深く丈の高い、いかにも塗椀に似たものがある。

京都に来た朝鮮の使節(判使)が、宿舎の大徳寺で用いたので、大徳寺呉器の名が出、それに類したものを全て呉器と称したらしい。

紅葉呉器、尼呉器、錐呉器、番匠呉器、遊撃呉器などの名がつけられているが、薄作り、淡灰色の肌に赤い斑紋が出たものが多い。

新版茶道大辞典 425頁

呉器とは、茶碗のカテゴリーの一つと考えたら良さそうですね。

画像は参考です。

https://www.nabeshima.or.jp/collection/index.php?mode=display_itemdetail&id=285

筒井筒とは重要文化財。名物。高魔茶碗、名物手井戸。

造りは丸くやや厚手、胴体は轆轤目が浅くめぐり、裾以下切篦(きりべら)がキッカリと立ち、高台は頑丈で兜巾(ときん)が立ち、カイラギが充分に現れている。

内部は見込深くくぼんで目が四つあり、口縁(くちべり)から高台際にかけて大疵の繕いが大小五ヶ所ある。

総体に赤みを帯びた枇杷色の中に青袖が景色をなし、赤釉の中に紫みを見せるところもある。

名物手井戸茶碗の中でも大型に属す。内箱書付は金森宗和。

もと奈良の茶人善玄の所持、筒井順慶から豊臣秀吉に献じられその秘蔵となったが、近習の者が取り落として五つに割れたとき、同席していた細川画が「伊勢物語」の古歌をもじって「筒井筒五つにわれし井戸茶碗とがをば我に負いにけらしな」と狂歌して秀吉の機嫌を直したという話がある。

輪王寺宮、毘沙門堂跡に伝来した。

新版茶道大辞典 799項
新版茶道大辞典 p799

筒井筒は超有名な茶碗です。確かにお茶会で用いられていた茶碗も金継が施されたような継ぎ目がありました。


想像を遥かに超える広く深い世界が広がっているではありませんか…!

茶会期を読み解くことで、数多くの新しい扉を開くことができました。

しかもこれは単なる「知識」ではなく、実際にその茶道具の取り合わせを目の当たりにした上での「体験」なので、感激もひとしおです。

これだからお茶はやめられません。

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