今年も長男と一緒に納涼茶会に参加させて頂きました。
私にとってお茶を習うということは驚きと感動を味わうことなのですが、この日に受けた衝撃は相当なものでした。
私の魂を揺さぶったものの正体。
それは「冷たいお抹茶」です。
お茶は熱い
お茶は釜で沸かしたお湯を汲んで点てるのですから、熱いのが当たり前です。
むしろ温度が低く、ぬるいお抹茶は良しとされません。
じゃあ逆に熱ければ熱いほど良いのかというと、そういうわけでもありません。
あくまでも利休さんの表現としては「服の良きように」なのです。
一度、炭を注いで釜をかけてしまったら、お湯の温度コントロールはできることがほとんどありません。
温度が低すぎる場合は釜の蓋を閉めるとか、逆に熱すぎる場合には水を差すぐらいです。
よって、繰り返しになりますがお茶は「熱いのが当たり前」なのです。
とはいえ、あまりに暑い日に熱いお茶を出すというのは頂く側としてもきついものです。
夏の薄茶を平茶碗で出すのも、少しでも冷めやすいように、という事でしょう。
他にもガラスの器を使うなどお茶の席で涼を演出する方法はいくつも例があり、それら演出自体もお茶の楽しみなのは間違いありません。
冷茶の衝撃
そういうわけで茶席に入ったのですが、お正客さんがお茶を頂く段になって「これは驚きました!冷たい!」という声が聞こえてきました。
お正客さんと後見さんが話しているのを側から聞くと、今年初めての試みとして冷茶を出すことにした為、なかなか苦労した旨の事をお話ししていました。
話を聞くと「へー、そうなんだ。お茶は冷たくして出すのもアリなんだ」くらいの受け止めだったのですが、自分の手元にお茶が来て、それを手のひらに載せると確かに冷たい。
お茶は熱いが当たり前ならば茶碗も熱いが当たり前です。
冷たい抹茶碗を手に持ったことはありません。
手を冷やす茶碗の強烈な違和感、非日常体験によって、図らずも私の全神経はお茶に集中することになります。
そして冷たいお茶を飲んだ時の驚きといったら、それはもう凄まじいものです。
天地がひっくり返るような衝撃を覚えました。
冷たいお茶の、まあ美味しいこと、美味しいこと。
私の短い茶道経験の中でも、人生の中でも、最も美味しいお茶の例を上げろと言われたら今のところコレです。
利休の教え
伝統を重んじるお茶の世界です。
今までにやったことのない試みするというのは並大抵の事ではありません。
後で考えると、これを決断することも準備することも相当に大変なことであったろうと思います。
「冷茶を出す」と聞いた時はそんな事とは思っていませんでしたが、冷茶を頂いた後に、これはお茶の核心だと確信しました。
お稽古のたびに「臨機応変に」「状況に応じて」と指導されるのですが、それは何も小手先のことだけではなかったのです。
暑い日に冷たいお茶を出すことで、「あれは最高に美味しかった!」と心が震える体験を提供することができる。
最近の暑さには日々辟易していましたが、この一杯のお茶によって、暑ければ暑い分だけ、冷たいサプライズがこんなにも嬉しいという事に気付かされました。
お茶というものは、最近の夏の過酷な暑さすらも喜びに変えることができるのです。
お茶は服の良きように
夏は涼しく、冬暖かに
利休七則
今年の納涼茶会は、本当に得難い体験となりました。
コメント