久しぶりにインフルエンザに罹患。
病気になることで、何気ない日常のありがたさが際立ちます。
ひとたび感染症を患った場合、人類史を振り返ってみると生きるか死ぬかは運次第、という時代がほとんどでした。
実際、世界初の抗生物質であるペニシリンが人類最大の発明と言われる事もあります。
科学の発展により、人類は飛躍的に発展しましたが、歴史的にはここ100年そこそこの話に過ぎません。
今、のんきにその日暮らしができる土台となる心身の健康は、見る角度・視座を変えると桁違いに豊かであるのです。
料理研究家の土井善晴先生がラジオで「ここまで当たり前のことが当たり前でなくなってくると、当たり前の事が有り難くなる」と仰っていました。
春は麗らかに、夏は暑く、秋は涼しく、冬に寒い。
空気も水も綺麗で清らかで、いくらでも好きなように利用できる。
それが得難いものになってくると、そういうことがありがたく思うようになる、との主旨でした。
全くの同感です。
何がありがたくて、何がありがたくないかなんて普段は意識することもないですが、山田無文氏曰く「それは常識に騙されているから」との事。
自分自身の自由自在に動く指がある。
その指には関節が幾つもある。
そんな指が、一本や二本でなく、両手に10本もある。
これは現代技術の最先端を持ってしても再現するのが極めて難しい、奇跡のような作りである。
この凄まじさに普段驚くことがないのは、常識に騙されているからだ、との事。
水や空気があるのが当たり前。
冬は寒いのが当たり前。
健康体が当たり前。
病気になったら薬と治療方法があるのが当たり前。
…といって、何事も吟味することなく、無味乾燥に受け入れる事は、常識に騙されている、という事。
よく見れば
ナズナ花咲く
垣根かな
松尾芭蕉
常識に騙されることなく観察すると、何事にしても世界は、世界はおろか自分自身の心身すらも、新鮮な驚きに満ちています。
人生100年。
常識に騙されることのない目を、心を、持っておきたいと思います。
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