山田無文、という人物

人物

禅にハマった今日この頃。

お茶の稽古の時間以外にも禅について学びを深めたく、仕事に家事に「ながら聞き」できる音声コンテンツから順次触れています。

ウェブを検索して最初にヒットしたのは、臨済宗・妙心寺のポッドキャストでした。

何とこのお寺、ポッドキャストで法話のアーカイブを公開しているほか、インスタからツイッター、YouTubeまで様々なSNSを駆使しており、情報発信に極めて熱心です。

このアーカイブに山田無文という方の法話がポッドキャストとして残っており、まずはここから…と何という事もなく聞きはじめたところ、衝撃に次ぐ衝撃。

言葉の一つ一つ、エピソードトークのひとつひとつに感嘆絶句させられることの連続。

既に故人ではありますが、これほどの人の教えに出会う事ができたのは感激としか言いようがありません。

さてこのお坊さん、調べてみるとやはり平易な説法が持ち味で、明治以来の名僧と呼声の高いお方だそうです。

世の中から争いごとをなくしたいとの思いから早稲田にて法学を志しますが、その過程で仏法に触れ、「争いが起こってから何とかするのではなく、そもそも争いを生じない世の中を目指したい」と仏門に入られたとの事でした。

これは…!と思ったエピソードをいくつかメモ。

悟りと修行について

それは大学受験のようなもの。

卒業できれば良いが、病気や落第などで卒業できない人も中にはいる。

卒業できる、出来ないを考えて、できないかもしれないから大学に行く意味がないという人がありますか。

卒業できるかできないかは修行の結果、悟りを開けるか開けないかは結果であり、結果は自然に任せておけば良い。

それよりも、大学に入れたという事を、仏の教えに触れる事ができたという事を、まずは喜ばなくちゃ。

山田無文「十牛図」より

仏の教えについて

こういうことを信じなければいけないとか、こういう仏さんを拝まなければいかんとか、これだけは守らなければならないとか、そういう規約などというものは仏法には何もない。

本来の自分の心が分かりさえすればよい。

それが仏法である。

山田無文「十牛図」より

禅の世界、お茶の世界は「不立文字、教義別伝」といい、言葉で表現できる限界の認識があります。

上のメモを書いてみて、私の感動体験の1ミリも表現できていない事に、再び驚きました。笑

不立文字。。。

人生100年。

巨人の肩に乗れる喜びを味わいます。

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