「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、何なくカレンダーを見たら彼岸には「彼岸入り」と「彼岸明け」とありました。
彼岸とは特定の一日ではなく、特定の期間を指す言葉のようです。
…これは一体、何なのでしょうか。
恥ずかしながら、誰かに「彼岸って何?」と聞かれた時に、答えることができない自分に気がつきました。
年に2回あるという彼岸、人生100年で考えると大体あと120回は経験することになります。笑
そう考えた時、「彼岸とは何か」という問いに向き合わずにはいられませんでした。笑
彼岸とは
色々と調べてみましたが、「お仏壇のはせがわ」のHPの記載が分かりやすく網羅的であったのでリンクを残しておきます。
彼岸とは春分の日・秋分の日と前後3日を合わせた1週間の期間。
西方の遥か彼方に浄土の世界(彼岸)があるとする「西方浄土(さいほうじょうど)」の考えに基づき、太陽が真東から出て真西に沈むお彼岸の時期は、浄土への道しるべができる時とされていた。
昼夜がほぼ同じ長さになることから、1年の中でこの世とお浄土との距離が最も近くなり、思いが通じやすくなる時と考えられていた。
お仏壇のはせがわHPより
仏教と日本古来の太陽信仰と融合してできたことが分かります。
つまり彼岸とは何か、と問いに対しては
「天体の動きという自然現象に意味を見出していたところに、仏教的な意味付けが融合したのが彼岸」…とまとめてよいかと思います。
お盆と彼岸とカツカレー
以前、お盆について調べた時に感じた感覚。それは、仏教の日本化とでもいいましょうか、輸入された思想が既存の思想体系と融合して定着してゆくことです。
日本画家の千住博氏が何かの本の中で「和とは、1つの制限の上に異なるものを調和させること」と表現していて、あるサイトでは具体的にカツカレーの例を挙げていました。
例えば日本料理は日本の風土が生むユニークなものだが、全世界の人々はそれを同じ“人間”として楽しむことができる。日本人にしかわからないというものではない。
webマガジン design stories より
さらにいえばイタリア生まれのカツとインド生まれのカレーが日本のご飯の上に乗り、カツカレーライスとなる。
こういうことを思い、更に逆説的に考えると、融合できなかったものが定着し得なかったのかもしれない。調和できなかったものが排斥されてきたのかもしれない。
例えば遠藤周作のキリスト教感との対比などによって、日本的なるものは何かと思索を深めたくなりますが、それはまた別の機会に。笑
人生100年。
彼岸について少し調べることで、人に説明できるようになったかと思います。
もっともっと色んなことを学び、つなげ、広げ、深めてゆきたいと思います。
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