お盆を迎えるにあたり、その歴史や意義を学ぼうとネットで検索。
我が家は日本で多数派を占める浄土真宗なので、その総本山のHPを見てみましたら…これが驚きました。
ご先祖様は帰ってこない
私の実家では玄関先に盆提灯を吊るして、納骨堂へご先祖の霊をお迎えに行くところからお盆が始まります。
ですが…
一般的なお盆のイメージはやはり、「先祖の霊が帰ってくる」というものでしょう。
実はこの「霊が帰ってくる」という考え方は、『盂蘭盆経』や、その他の仏教の教えに由来するものではなく、日本の民俗信仰に由来するものだといわれています。
浄土真宗西本願寺派HPより
全くもって驚きました。
お盆で霊が帰ってくるというのは仏教の教えと思っていたのですが、全くそうではなかったのです。
飾り付け不要
更にお盆になるとお店にはたくさんのお盆飾りが売り場に並び、私も当然のようにこれらを買ったりしていたのですが…
お盆になると、店頭にさまざまなお盆用品が並びますが、
盆棚、精霊棚などのいわゆる”お盆かざり”といわれるような、先祖を迎えおまつりする供物や膳などは浄土真宗では用いません。
浄土真宗西本願寺派HPより
なんとこれらも浄土真宗のそれではない、との事。
常識が次から次へとひっくり返されて、私の中のお盆というイベントがアイデンティティクライシスに陥ります。
リメンバー阿弥陀仏
ここまで「日本の普通(?)のお盆」をひっくり返して、一体どう収集をつけるのか。
もとは浄土真宗の教えと合わないような考え方であっても、お浄土を思い、阿弥陀さまの教えを通して受けとめることによって、お浄土の懐かしい方々をしのびつつ阿弥陀さまのお救いを聞きよろこぶ大切なご縁となっていきます。
これが、浄土真宗のお盆の要でありましょう。
浄土真宗西本願寺派HPより
浄土真宗の教えとしては「お盆は仏について考える機会のひとつ」程度のもの、特別なものではない一つの機会として捉えている気がします。
とはいえ、私のように今日・明日の生活をこなしてゆくことに精一杯の凡夫にとっては、お盆でもなければ仏のことに想いを巡らす機会なんてほぼ有りません。
実際に考えてみると、お盆はそんな私を仕事から解き放って、仏のことに想いを馳せる唯一の機会といっても良いかもしれません。
そういう俗人の日常性を前提とした場合、確かにお盆は特別な機会となりうると思います。
ここまで調べると気になってくるのは、他の仏教の宗派ではどのようにお盆を捉えているのでしょうか。
例えば、ナスやキュウリに割り箸を刺すアレは一体何なのでしょうか。
このお盆のどこかで調べてみようと思います。
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