家族でお散歩中、妻が水路にいる見慣れない生き物に気付きました。
驚きました。
タシギです。
タシギはとても警戒心の強い鳥なので、スマホで撮影できる距離に近づける事は普通ならあり得ません。
タシギは狩猟鳥獣。
狩猟に関する法的な手続きを経ていれば、狩っていいとされる野鳥です。
シギは英語でsnipeといい、ジグザグに飛んで逃げるので鉄砲での狩りが難しいと言われています。
ここから狙撃の名人のことをsniper(スナイパー)と言うようになったそうです。
そしてその味は大変美味で、焼き鳥の王様と呼ばれるほど。
ペーパー猟師の私ですが、いつか捕まえて食べてみたい憧れの鳥です。
このタシギ、病気か怪我か分かりませんが、とにかく弱っている様子。
どうやら逃げないのではなく、逃げられないのです。
そうと思うと、保護してあげなければという気持ちにもありましたが、狩猟鳥獣とはいえ、正規の手続きを経ずに野鳥を捕まえる事は基本的に違法行為。
なすすべもなく、その場を去りました。
そこでふと、自らの中にある無視する事のできない矛盾に出会いました。
やがて自らの手で積極的に命を奪おうとしている生物を前にして、弱っているから保護しようという気持ちが湧いたのです。
殺して食べる。
食べずに保護する。
食べるという事の裏側にある、見て見ぬふりをしてきた事実。
私はこれまで反省なく、草や木や動物を喰べていたが、それらは実は、死んだ人間よりも、喰べてはいけなかったのである。
生きているからである。
『野火 (角川文庫)』大岡 昇平著
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命に対する態度に、向き合わされた気がしました。
狩猟免許を取ったのには、この矛盾に面と向き合うためという側面もあります。
人生100年。
この問題は、自分の人生をかけて、自分なりの回答を出す価値がある気がしています。
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