本を入り口にお茶の道に足を踏み入れた私。
ちょうど1年くらい前に利休百首に関する記事も書いていました。
その利休百首の中に、次のような有名な歌があります。
「茶の湯とは ただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし」
利休百首
お茶のことなんて何も知らない私は、文字通り受け取めました。
「なんだ、お茶を点てるのなんて簡単じゃないか!」
そしてマグカップに熱湯と抹茶の粉と泡立て器を突っ込んで、
あたかも原始人が火おこしをするかの如く激しく掻き混ぜて点てたのが、私の一番最初のお抹茶です。笑
味は覚えていませんが、「思っていたのと違う…」という違和感は今でも覚えています。
確か、人生初の茶筅を買ったのはその後だったような…。
それでも思っていたようなお茶にならず、何が違うのかと思いめぐらせていました。
(今思えば、何が違うのか指摘する方が難しいくらい全部違います。笑)
その後、お茶をしている人と話したときに「まず、お抹茶は点てる前にふるいにかけるもの」と教えていただきました。
その後、ふるいを買って試してみたとろ
「ただふるいにかけただけで、こんなにも違うものか!」
と思ったのも、また覚えています。
そして、入門を果たした時に、お茶の道の奥行きの広さと深さにはただただ圧倒されました。
利休百首の「ただ茶をたてて」の「ただ」は「私の思っていた、ただのただ」ではなかったのです。
「ただ」の中を、もっと深く学んでゆきたいと思います。
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